住宅ライターのジオ覚王山取材レポート

名古屋市千種区

毎月21日に開催される縁日「弘法さんの日」

「覚王山」という地名の由来にもなっている「覚王山 日泰寺」。
その参道には、飲食店や雑貨店など新旧さまざまな個性豊かな店舗が建ち並び、日々賑わいを見せています。

そんな日泰寺の参道が一層賑わうのが、毎月21日に開催される縁日「弘法さんの日」。
「覚王山」駅から日泰寺の境内まで、ずらりと出店が並ぶんです!

今回は、そんな「弘法さんの日」を取材しました。

高台から街を見守る覚王山のシンボル「覚王山 日泰寺」

「弘法さんの日」の前に、まずは「覚王山 日泰寺」について改めてご紹介しましょう。

「覚王山 日泰寺」は、「お釈迦様の御真骨が眠る日本唯一のお寺」。
「日」は日本、「泰」はタイ国のことを指し、タイ国の国王様から贈られた釈尊金銅佛をご本尊とする、日タイ友好の象徴となっている寺院です。

お釈迦様の御真骨をシャム国(現在のタイ国)より贈られ、これを奉安するために佛教各宗の代表が協議した結果、明治37年に建立されたのが「覚王山 日泰寺」。
このような由来により、日泰寺は日本佛教徒全体の寺院であり、いずれの宗派にも属していないという特徴をもっています。


▲釈尊のことを表す「覚王」を山号とした「覚王山 日泰寺」。
ここから、街の名前も「覚王山」と命名されるなど、まさに街のシンボルと言える寺院です。
※上写真:2022年3月撮影

毎月21日は縁日「弘法さんの日」

それでは、「弘法さんの日」についてご紹介していきましょう。

「覚王山」駅からの参道と日泰寺の境内を会場に、毎月21日に開催される縁日「弘法さんの日」。
なぜ開催日が21日なのか?というと、弘法大師の月命日が21日であることにちなんでいるそうです。

実際にどんな様子かというと…


▲開催日は参道が歩行者天国になり、道の両側に出店がずらり。出店は日泰寺の境内まで続き、ざっと100店舗近くある印象です。
平日の午前中にも関わらず、老若男女多くの人の活気で溢れていましたよ。
(縁日は午前9時頃から開催されていますが、出店が揃い、商品も豊富な午前中(10時前後)のお出かけがオススメです!)

その出店は、どて煮やお好み焼き、カステラなど定番の“屋台グルメ”もありますが、新鮮な野菜やフルーツ、海産物などを売っているお店も多く並んでいるんです。

 
▲旬や地元のものなど、たくさんの野菜やフルーツがどっさりとカゴに盛られて販売されていました。
トマトや柑橘系のフルーツなど、同じ種類の野菜やフルーツでもさまざまな種類のものが並んでいて、「これとこれの違いは?」と直接お店の人に聞くことができるのも、こういった場の醍醐味だと思います。


▲私も今が旬の西尾市産のタケノコを購入。こんなに立派なタケノコは、スーパーではなかなか手に入りませんよね!

また、海産物の出店も充実。

 
▲アジを始めとした魚の干物やタラコ、昆布、ワカメ、ちりめんじゃこ…と充実のラインナップでついつい目移りしてしまいます。ちりめんじゃこはマスで量り売りしてくれるお店も。どれもお値打ち価格なのも嬉しいポイントです。

食べ物だけでなく、お花や木製のフォークやスプーン・食器、帽子などの衣料品を販売する出店もあり、この日だけ出会える一品を求めてどの店も多くの人が足を止めていました。

 
▲写真左:みたらし団子が名物の「つる屋」や自家製米粉100%のグルテンフリーのバームクーヘンのお店「ココトモファーム」、インド料理や紅茶の専門店としても有名な「えいこく屋」などの覚王山参道の店舗もこの日はお店の前にテントや机を出して商品を販売。「シェ・シバタ」には行列ができていましたよ。 ※写真は「つる屋」
写真右:参道の店舗だけでなく、覚王山エリアのお店がこの日は参道に集結していて、新たな地元のお店との出会いも期待できそう。写真は、創業嘉永元年(1848年)の老舗和菓子店、覚王山駅4番出入口すぐにある「不老園」のわらび餅です。

多くの出店に目を奪われ、参道を行ったり来たりするうちに気づけば1時間以上が経過。
こんな規模のお祭りが毎月開催されているなんて、すごいと思いました。

【ジオ覚王山】からはお散歩ついでに気軽に行ける距離ですから毎月顔を出して、旬のもの・お得なもの・珍しいものを探してみてはいかがでしょうか?
きっと、食卓が楽しくなること請け合いですよ♪

邸宅地としての歴史を伝える、もうひとつの覚王山のシンボル「揚輝荘」

さて、覚王山には日泰寺以外にも街の歴史を感じることができる施設が多くあります。
そのうちの一つが「揚輝荘」です。

「揚輝荘」は、松坂屋の初代社長・15代伊藤次郎左衛門祐民が大正から昭和初期にかけて建設した、名古屋の郊外別荘の代表作。
その最盛期には、約1万坪の広大な敷地に30数棟もの建物が建てられ、池泉をめぐらせた庭園も設けられていました。


▲現在も残る「聴松閣」。赤い壁が印象的なこちらの洋館は、当時は迎賓館として使用されていたそうです。
現在は一般公開されていて、地階の多目的ホールではコンサートなども開催されています。


▲池泉回遊式庭園の北庭園。京都の修学院離宮の影響を受けたと考えられています。
山桜、新緑、紅葉と四季折々の表情を楽しむことができるそうで、身近に豊かな自然を感じられる静かな環境が残っているというのも良いなと思いました。

現存しているのは、「聴松閣」のほか「揚輝荘座敷」や茶室の「三賞亭」など限られた建物と庭園のみですが、園内の5棟の建造物は市指定有形文化財にも指定されているなど、歴史的にも価値のある揚輝荘。

皇族や政治家、実業家、文化人など各界の名士も訪れ、さらにアジアの留学生の寄宿舎としても広く国内外の交流の場となっていた当時の姿を思い浮かべながら、その歴史ある建物や緑豊かな庭園をめぐり、覚王山の邸宅地としての始まりに思いを馳せてみるのも良さそうですね。

※掲載の内容は2021年4月取材時のものです。
「弘法さんの日」の開催および内容については、新型コロナウイルス感染症の影響等により中止・変更となる可能性がございます。予めご了承ください。
村田明音

住宅ライター
村田明音

住宅ライター。女性誌の編集や広告営業を経て、ライティング会社を設立。マンションや一戸建て、リノベーションなど住宅分野に幅広く関わっている。旅行先でも、物件や町の住みやすさをついチェックしてしまう。

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