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住宅ライターの「アーバン島本シティ」取材レポート

福岡由美

住宅ライター
福岡由美

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2017年07月20日

古くから人々が営みを続けた街、交通の要衝として栄えた歴史を持つ島本町

さて、前回までのレポートでは、『大阪』へ19分、『京都』へ17分と、
関西の二大都市のほぼ中間地点に位置する島本町のアクセス便性についてご紹介しましたが、
“交通に便利な街”という島本のイメージは、実は鉄道が整備されるよりもはるか彼方昔から定着しており、
陸路と水運に恵まれた『交通の要衝』として多くの人たちが行き交いながら、生活を営んできたと伝えられています。

そこで今回は、島本の歴史を紐解きながら、この街の魅力を探ってみましょう。
※写真は島本駅前『桜井駅跡史跡公園』・・・・・・現地より徒歩3分(約240m)/2017年5月撮影。
※このレポート内に記載した史述は、島本町ホームページおよび歴史文化資料館の資料より引用。

壮大な歴史ロマンを感じる、島本で営まれ続けた人々の暮らし


▲ここ島本の歴史に触れるなら、まず訪れておきたいのがJR『島本』駅の東口にある『島本町立歴史文化資料館』。
国の有形文化財にも登録されている『麗天館』を活用して資料館として公開されているもので、
誰でも無料で館内を見学できるようになっています。
(麗天館は昭和16年に地元有志らによって建てられた国史跡桜井駅跡の記念館です)

※島本町立歴史文化資料館・・・・・・現地より徒歩5分(約400m)/2017年5月撮影。

広々とした資料館の中には、島本町内各地で出土した土器などの貴重な展示をはじめ、
島本町がどのような歩みを続けて今の街並みに至ったのか?などの歴史が年表で展示されています。

ちなみに島本町内では13の遺跡や古墳群などが確認されていますが、最も古い遺跡は『山崎西遺跡』で、
そこから出土した『国府型ナイフ形石器』の年代測定によると、
おそらく旧石器時代の後期頃には、この島本一帯に大きな集落が存在していたと考えられています。

旧石器時代といえば、今から約3.5万年~約1.2万年前!
ようやく人類が現生人類に近いホモ・サピエンスへと進化し、
少しずつ道具作りなどの知恵を生み出しながら文化的な生活を始めるようになった頃です。

そんな太古の昔の島本の風景を想像してみると・・・
あまりに壮大な時の流れを経ているためなかなかピンと来ませんが(笑)
『島本の歴史』は、ほぼ現生人類の歴史と同じであると言えそうです。

その後、縄文時代・弥生時代・古墳時代へと時代は移り変わりますが、飛鳥時代には地元産業が誕生します。

実は、ここ島本は桂川・木津川・宇治川の3つの川が合流し、
淀川へと流れ込む地形によって形成された沖積地で、
良質な粘土が取れたことから『瓦の生産地』として発展。
その歴史を表す『鈴谷遺跡』は、奈良時代の東大寺属瓦窯業跡としても知られています。

島本での新生活がスタートしたら、これらの遺跡・史跡群を家族で訪れながら
街の歴史に関する知識を深めてみてはいかがでしょうか?

江戸時代、街道の発展と共に“交通の要衝”として栄えた歴史を持つ島本




▲では、ここからはもう少し近代に近い歴史に目を向けてみましょう。
JR『島本』駅の東口ロータリー前には『桜井一丁目』という大きな交差点があります。
実はこの交差点こそ、島本が“交通の要衝”と呼ばれた歴史の証、
京都~西宮~下関を結ぶ『西国街道』(江戸時代の山陽道)の名残なのです!

※桜井一丁目交差点・・・・・・現地より徒歩5分(約400m)/2017年5月撮影。

『西国街道』は、京の都と九州の大宰府を結ぶ重要な幹線道路でしたが、
その幹線道路がここ島本を通っていた理由はというと、
ちょうど山の谷間が連なる場所に位置していて
“わざわざ山越えをしなくても済む地形だったから”なのだとか。

また、水無瀬川と淀川が合流していることから水運にも恵まれていました。

そのため、陸路に良し・水路に良しの『島本』には多くの旅人や商人、物資などが集まって、
豊かな“経済集積地”として繁栄を遂げたのです。


▲当時のルールで“道幅二間半(約4.5m)”で整備された西国街道。
今でこそ、こんなキレイなカラー舗装の道路になっていますが、
江戸時代の旅人たちが草鞋を履いてこの道を行き交っていた様子を思い浮かべると、歴史ロマンが感じられますね!

※桜井一丁目付近、西国街道の風景・・・・・・現地より徒歩3分(約240m)/2017年5月撮影。

 


▲さて、JR『島本』駅前でもう一箇所訪れたいのが、この美しい緑が茂る『桜井駅跡史跡公園』。
ここは『太平記』に登場する名シーン『桜井の別れ』の地で、
延元元(1336)年、足利尊氏の大軍を迎え撃つために京を出発した楠木正成が、
桜井の駅(宿)で、息子・正行に遺言を残して引き返らせ、父子今生の別れとなった場所なのです!
(そういえば、国語の時間に習ったような気がする!という方も多いのでは・笑?)
現在、公園内には『楠公父子訣別之所の碑』が建てられており、
日本史ファンの歴史散策スポットとしても親しまれています。

※写真は島本駅前『桜井駅跡史跡公園』・・・・・・現地より徒歩3分(約240m)/2017年5月撮影。

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いかがでしたか?
【アーバンシ島本シティ】の建設が進められている街、島本町の歩みについて、
その長い歴史がおわかりいただけたでしょうか?

太古の昔から人々が暮らし、長い生活を営んできた場所というのは、
●実りが多い豊穣の土地であること
●災害が少ない場所であること

が多いと一般的には言われています。

『島本で暮らす』ということは、この場所で長年培われてきた『人々の叡智と共に暮らす』ということ。

街の歴史を知るにつれて、地元・島本への誇りが感じられそうですね!

福岡由美

住宅ライター
福岡由美

住宅ライター・住宅ローンアドバイザー・ファイナンシャルプランニング技能士 /取材歴20年以上の専門家として住宅情報誌やサイトへレポートを寄稿、セミナー講師等も務める。ラジオレポーター・構成作家としても活動中。

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